境内のご案内
嚴島神社の境内には、石造物が多数献納されています。

鳥居:江戸時代後期

刻銘:願主 松浦総次郎
文政十一年戌子正月
瑞廣前
高さ:二六〇センチ

刻銘:三好政吉外十名
明治二十七年
天之御柱 國之御柱

刻銘:文化三丙寅歳九月
富島元俊
寸法:高さ三五〇センチ

刻銘:明治十二年十月
金刀比羅宮
寸法:高さ三五〇センチ


刻銘:松浦屋儀十郎/
寸法:高さ一九〇センチ

埋め立て以前に付近の海岸にあった岩を献納したのか、
又は海物園にあったものを移転したと思われます。


玉光 太兵衛 作 天保6年(1835) 文化13年(1816)から弘化2年(1845)までで、12点の石造物が確認されている。特徴として、十六羅漢像や仁王像などの石像、因島の白滝山の石仏、山王神社の狛猿など、非常に独創的な彫刻技術に優れている。また、向島町東富浜の厳島神社手水鉢は、円形の手水鉢の上に狛犬が乗っており、他の追随を許さない独創的な作品といえる。 太兵衛は、他の石工と連名の作品も数多く残しており、指導的な立場にあったのではないかとも考えられる。 尾道市日本遺産 調査報告書1
「尾道の石造物と石工」より

昭和五十九年六月一日指定
尾道市教育委員会
※灯篭と墓 天満屋浄友は浅野候に伴われて紀州から安芸入りし魚問屋、酒造業で産を成し藩に乞うて塩田を築調する。厳島神社を創建したのは浄友の子柳生の時代である。墓誌銘は墓の裏側にあり浄友の略歴を刻んである 。それによると広島の私邸で歿し行年67才とある。元禄頃より向島が発展したのは浄友のお陰であろう。 「富島浄友の墓」案内板より